第7位
下級生
制作・エルフ(1996)
OS・98DOS&WIN95
種別・恋愛SLG
フィニッシュ・顔7:口4怪物シリーズ「同級生」の姉妹作。1年間の期間を通じて繰り広げられる、女の子たちとの甘酸っぱい思い出作りというエルフの十八番ノリで大ヒット。誰でも知ってるから説明するのめんどくさいなあ。
これもメジャーゲーム。竹井正樹原画だったら「同級生2」より売れたに違いない。とりあえずエルフのゲームはどれ選んでも面白いんですが。なぜ「同級生2」じゃなく「下級生」かというと、これがエルフのゲームのなかで一番精液度が高いから(こういうところでこのランキングのバイアスを見せとかないと。へへへ)。
確かに下級生の原画の人(名前忘れた)は竹井氏に比べてちょっと、いやかなりインパクトが落ちる。でも首から下に関してはむしろいい感じの体を描くんだよね〜。しかし、あれだけ柔らかい身体が描けるのになんで顔は・・・・。ま、いいか。
このゲーム結構Hだよ。デートを重ねるごとに色々パターンが増えるのって好き。女の子もたいがいの娘に顔射が用意してある。顔射、口射CGがないのは・・・真歩子と、ティナ(この娘はH自体ないけど)だけか。これはエルフでは例外的だねえ。「同級生2」では顔射って2、3人ってとこでしょ。しかも脇役ばっかだよ。オバハンとバスガイド(これは口射か)とあとは友美だろ。これじゃ〜な〜(メガネっ娘が好きな人ゴメン)。ヒロイン級の娘の顔射は「遺作」ぐらい。あの鬼畜な「臭作」でも射精はおざなりだったなあ(口内射精の時の「声」はめちゃいいのに何考えてんだろ〜)。エルフは精液オリエンテッドなブランドじゃないからしゃあないけど、それだけに「下級生」のHさは貴重と言える。 エルフだけにゲームとしての出来は当然いいし、みんな買おう!!!!ってみんなもってるか、もう。WIN版欲しいなー。サターン版をちょこっとやったけどやっぱ256色ってのはいいね!回想シーンがWIN版はデートごとに再現されるんで、これもとてもいい改良だと思う。俺何個デート直前のセーブデータつくったことか。
ちなみに俺は涼子とみこちゃんがお気に入りだ。・・・エルフのソフトってなんか「俺は○○が好みだ」って言いたくなるんだよなあ。俺みたいなエロゲーマーでもはまってしまう。これがエルフゲームの魅力なんですかねえ。でも最近移植オンリーじゃないか。そんなだから、最近の若い連中に「To Heartは同級生を越えた」とか言われるんだよ。
(ここから下、長文、しかも愚痴。)
大体、「東鳩」が「同級生2」より優れてる訳ないだろう。確かに俺も「To Heart」はやったよ。かなり面白いと思った。でもなんか、あれがいいって言っちゃうと蛭田氏に失礼じゃないか?ま、最近恋愛ゲームはかなりの数出てるが、主人公どいつもこいつもいいやつというかTPOに合わせて口当たりのいい言葉を並べる優柔不断な奴ばっかりでいわばノッペラボウだ。それにストーリーも判で押したような感動物。「ウリナリ」じゃあるまいし。
「下級生」とか「同級生」の世界観の方が料理が難しいんだぞ。蛭田作品はその内部にとてつもない異常さを内包しているでしょ。みんなどことなく変だ。とりわけ主人公のあのエキセントリックさ。あんなやつ実際いたらかなりの変人だ。学校ではなんかモテてる設定みたいだが、それはないだろう。しゃべり方も変だし、やることも寒いし、セクハラするし、ギャグだってボーダーすれすれ。こんなランスが制服着たような奴にまともなラブストーリーをやらせる。それをテレ東アニメみたいに敷居の高いものにしないで、ここまでにうまくまとめられるのはひとえに蛭田氏の技量に他ならないと思う。特に会話が素晴らしい。世界観の構築は9割がた会話に左右されると俺は思ってる。蛭田氏の書く会話は一見壊れてる。が、これが段々マトモに見えてくる。主人公の寒いギャグが面白く思えてくる。それどころかこの世界が何だかとてつもなく居心地のいい世界のように思えるんだ。
変なものばかり集めているが、これが普通に思える瞬間、虚構が「理想的現実」に昇華される。下級生発売時に「下級生=うる星やつら」という説が一部で言われていたけど、これは頷ける。(そういえば、うる星の映画でしのぶがあたるのことを「いいかげんで、怠け者で、いやしくて、女好きで、インランで、浮気性でエゴイストで・・・そりゃまあ善人ではあるけれど・・・」というところがあったけどこれってまさにエロゲ主人公)。そう思うと高橋留美子は蛭田氏の師匠格ともいえる存在だ。もっとも留美子先生は蛭田氏でもティナで失敗した非常識宇宙人の日常化(ラムちゃんだっちゃ)という難問をクリアしたと言う点で蛭田氏以上のタレントといえる。その天才けも先生でも「らんま」の後半以降、そして「犬夜叉」とボタンの掛け違いが続いている。一歩間違うと「単に変」になってしまふ。かように厳しいフィールドなのだ。
しかし、こういうアブノーマルな世界観は一旦構築してしまうと正調ストーリーへ移行したときに臭み消しになり、破壊力を増すという魅力がある。俺は今年タイタニックを見に行ったがそれは嘲笑の対象にしかならなかった。しかし、何の期待もしなかったクレヨンしんちゃんの映画では「ぶりぶりざえもん」にホロホロしてしまったのだ。エルトンジョンがいまさら大バラードを唄ったところで大したニュースにもならんが、コミックバンドと思われていたサザンが「いとしのエリー」を唄うとそれは昭和の名曲となるのだ。蛭田氏のシナリオの肝はまさにその振幅にある。「あと5分で感動」とかアホな道案内しなくても、リラックスした人間の心にすっと入りこむ術を氏は心得ているのだ。こういうやり方だと感動に免疫がつきまくっているすれっからしの連中も思わずジュンっと濡れてしまうんです。いやらしいねえ。最近は「感動」が巷に溢れかえっているから、こういう感覚は大事だと思う。
大体、世の中感動感動ってゆーけど、実際そういう体験って年に何回もないもんなんだ。まあ俺は恋愛ものが好きだけど、別に感動を待ち望んでる訳ではない。TVにせよゲームにせよ「既成事実としての感動」に満ち満ちてるからな。「感動したい」受け手と、「手法としての感動」を濫発する作り手側の、終わりのない焼き畑農業は見てて吐き気がする。大体感動ってのはふと、心を捉えるもんであって、偶然の産物でしかないと思う。それをルーティン化しようとすると悲惨なことにしかならないぜ。モーニング娘が試練を与えられ、それを乗り越え泣く。不幸話を延々と聞かされて涙を流す島田紳助。タレントのトークにいちいち大げさなリアクションを返す観客。こんなマッチポンプはうんざりだ。
感動ともらい泣きを一緒くたにしてはいけない。しかしゲームの世界でも、もらい泣きを感動に錯覚させてしまうやり方が横行している(と断言できるほどやってないけど)。特にRPGでよくある「戦友の死」「愛する人の不幸」なんかがそうだ(と断言できるほどやってないけど)。「死」は演出手法としては最終兵器。一番効果的で、それゆえ一番短絡的なやり方でもある(物語に手っ取り早くヤマ場を作れるが見てる側に耐性が付きやすい。インフレが進みすぎて「宇宙戦艦ヤマト」のように屠殺場さながらになってしまったものもある)。「死」を簡単に取り上げるのは、クリエイティヴィティの腐敗に繋がりやすいのだ。
俺が「DESIRE」を絶賛しながらも、「EVE」を無視するのは、まあエロがないってのが一番の理由だけど、剣乃氏に感動インフレが起こってるのでは?と思ったからだ。彼ほどのライターなら同じ容器に水をさらにつぎ足すようなやり方ではなく、もっと違う入れ物を用意して欲しかった(ぜいたくかな?)。さっきほめたとこだけど蛭田氏も「同級生2」の桜子シナリオでやってるんだよなあ。まあ、沢山のストーリーのなかの一つだからいいんだけど、それをあんまり沢山の人が支持したりするとあれれ?って思うんだよ。なんか見え透いてないかい?中学生ならともかく、18才以上(だろ?)の立派な方々なのにみんな無垢な感性もってんだ。いや、イヤミじゃなく。
・・・ここまで来たら、俺が何で「To Heart」より「同級生」「下級生」の方を上に持ってくるのかわかるだろう。それは、
俺、「マルチ」シナリオ全然たのしめなかったんだああああ!
それをみんな大絶賛するから悔しいんだあああああ!!!!!
あ〜あ、俺は不感症になってもうた。
(以上、愚痴でした。)
エルフよ。いくらなんでもこのままじゃスーファミ時代の「ドラクエ」みたいに後発にやられっぱなしだぞ。はよ「同級生3」だせよ。竹井氏の絵が遅れてるんだったら横田守原画でやったらいいじゃんか。わたしゃそっちの方がみたいぞ、むしろ。 たのむで。