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The Beatles
REVOLVER

1966年・アルバム
東芝EMI

 

なにしろ、ビートルズなので。

何を選んでもクレーム来るでしょうな。おそらく世界中で一番のファンの数が多いバンドやろうから。しかもコアな奴もやっぱり多い。しかもイヤな奴も相当に多い。実際、オレがそうだったからだ。

ビートルズが好きな人がしばしば陥りやすいのが、「ビートルズ至上主義」藤田朋子が良い例であるが、もうビートルズがあったら何もいらん。だってビートルズが全てだもん!今の連中がやってる音楽なんて全部ビートルズがいっぺんやったことの焼き直しよお!・・・という考え方である。一般的にファンという存在は好きなアーティストのことを強烈にプッシュするモノであるが、ビートルズはそれを後押しする要素が多い。バーンスタインがビートルズを賞賛したとか、ギネスブックにも記録が載ってるとか客観的に「偉大さ」を示しているファクターが多い。そういうものが、例えばローリングストーンズなどの他バンドとの優位性を誇示したい時などにビートルズファンが待ってましたと出してくるのだ。オレが中学の時に放送委員にビートルズファンの奴がいてそいつが担当の曜日は毎回ビートルズの曲が「この曲はどんな賞をとってウンヌン・・・」という聞きたくもないごたくとともに繰り返しオンエアされたものだ。

しかもファンの数が多いので情報も豊富。だから後からやってきたファンは始めから詳細な情報に接している。そうなると、ビートルズファン同士への対抗心から、よりコアな方コアな方へといってしまうのだ。オレは小学校の音楽の授業の時、「ボクの好きな曲」というのを理由とともに書くという授業があった。その時にオレは、周りの連中が松田聖子とかのヒット曲をせっせと書いているなか、「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」と書いたものだ。非常に可愛くない子供といえよう。

こんなふうに、ビートルズファンというはしばしば鼻持ちならない連中である。こんな奴らに「ボクの好きな曲はイエスタデイ(特にこの曲名は禁句)」とか「レット・イット・ビーってジーンとするよね」とか迂闊に言ってしまったら、もう末代までバカにされること請け合いである。しかし、そんなすれっからしの連中でも否定できないというか、どれだけメジャー曲でも認めざるを得ない作品がある。シングルなら「キャント・バイ・ミーラブ」とか「シー・ラブズ・ユー」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」あたり。アルバムなら「ア・ハード・デイズ・ナイト」や「ラバー・ソウル」。

そして「リボルバー」もそんなアルバムの一つ。オレはビートルズといわず、20世紀ベストアルバムでもベストスリーにこのアルバムを選ぶ。

なぜかって?
聴いてみて!

 


King Crimson
IN THE COURT OF
THE CRIMSON KING

1969年・アルバム
ポニーキャニオン

 

洋楽を聴き始めた少年達がTOP40を卒業して次にハマるものといえばヘヴィメタ、そしてプログレではなかろうか。さすがに今ではそれほどでも無いのかも知れないが、プログレッシヴ・ロックという蠱惑的な響きに魅せられてどれだけの人間がこの阿修羅道へ踏み出したことだろう。みんな渋谷陽一が悪いんや。

今からプログレを聴いてみたいという人間がもしいるとすれば、そういう人へのアドバイスとしては「やめとけ」というのが一番適切だと思う。が、それでも聴いてみたいという剛胆な人には、これしかない。「クリムゾン・キングの宮殿」。はっきり言ってプログレはこの1枚で十分。いや、キング・クリムゾンがこの1枚でいいという訳ではなく、この1枚で俺はプログレッシヴ・ロックを全て聴いたと言ってしまっていいと言っとるのだ。

サイケデリック・ロック・ムーブメントの一部としてプログレを捉えれば、ドイツのアシッド軍団も入って来てややこしくなってくるが、 皆が「プログレ」といってピーンとくるイメージがありますわね。

衝動
文学色
叙情的
自己批判
神秘主義
高度な演奏力
パラノイア的な曲構成

更に、

とてつもないエゴイストの集団
それに伴う人間関係の複雑さ
絶え間ないメンバーチェンジ

といういかにも〜という要素。これらは全てこのキング・クリムゾンのファーストアルバムで提示されたものであり、他のどのプログレバンドも、そしてキング・クリムゾン自身も、結局最後まで自分達の作り出した世界観を乗り越えられなかったのであります。 唯一、ELPだけが「結局プログレなんてこういうことなんじゃ〜」といって尻で楽器を弾き、プログレを終わらせたが(同時に自らのバンド生命も終わった)。

プログレは袋小路の音楽ジャンルなのだ。プログレにとって不幸だったのはこの「クリムゾン・キングの宮殿」があまりにもパーフェクトであったことだろう。クリムゾンはこれ以降、ファーストアルバムの再解釈にそのバンド生命を費やしてしまう。リーダーのロバート・フリップはすっかり教祖化して、ことあるごとに「キング・クリムゾンの活動は、全てクリムゾン自身の意志によって決められる。今回の再結成も私が決めたことではない。クリムゾンがその活動を必要としたからだ。」とか訳わからんことばっかり言うようになるし。他のバンドにしたって出てくる奴出てくる奴みんなことごとく変人やし。イヤな音楽ジャンルになってしまった。それもこれも始まり方が悪かったからや。

だから、我々はそんなもんにつき合うことない訳で。この「クリムゾン・キングの宮殿」だけを聴いて、なるほど、と納得すればいいのであった。

この1枚に限って言えば、このアルバムは60年代最高の1枚に上げられる。プレスリーが始め、ビートルズが大々的に広めた黒人音楽の白人的再構築としてのロック・ミュージック。サイケ・ムーブメントを経て限りなくその地平を広げていったその音楽のひとつの総括として、キング・クリムゾンは完璧な仕事をやってのけた。初期ロックンロールが持っていた原初的衝動を分析し、卓越した演奏力を持ってそれ以上のエナジーを人工的に作り上げる。文系ロックの最高峰。同時期に体育会系の再構築をやり遂げたレッド・ツェッペリンのファーストとともに、ポップミュージックの偉大なマイルストーンである。一度は聴こう!


 

この後のレビュー予定

デビッド・ボウイ、オアシス、YES、ジェネシス、ELP他


 

:米: